[c73]くらりょう
内蔵寮
うちのくらのつかさ
大蔵省

●国庫目録
【寮 員】
 内蔵頭 (正五位上)
 
 
 内蔵助 (従五位上)  
 内蔵大允(正六位上)
 
 
 内蔵少允(従六位上)
 
 
 内蔵大属(正七位上)
 
 
 内蔵少属(従七位上)
 
 
【職 掌】
 〔現職掌〕 国庫に関わる事項。
 〔旧職掌〕 内蔵寮の起源は律令制以前の三蔵、大蔵(おおくら)・内蔵(うちくら)・斎蔵(いみくら)の一つである内蔵にさかのぼる。 内蔵は履中天皇の時代には存在し、皇室の財宝を管理する倉庫で、律令施行後も中務省の一機関として存続した。
 内蔵寮の職掌は、大蔵省より毎年宮廷運営のために送付された金・銀・絹などをはじめとする皇室の財産管理・宝物の保管・官人への下賜など皇室関係の出納事務である。 また、諸蕃貢献物すなわち対外貿易による調達品も管理しており、勅旨による交易(勅旨交易)およびそれで獲得した物品(交易雑物)も管理していたとみられている。 更に自らも官営工房として装飾品などを製造していた。国家の出納事務を行う大蔵省や官営工房の中核である内匠寮と重複する部分も多く官制は度々変化した。
 また、官司の倉庫にある公の金品の支出は原則として太政官符の発給などの手続を必要としたが、 その歴史的経緯から天皇が必要と認めた場合には 内侍や蔵人を介して直接寮に対して金品の調達あるいは支出を命じる勅旨を出すことができた。 また、鍵の管理も他の官司とは異なっており、監物を介さず、主鑰が直接内裏に申請して開閉を行うことが出来た。
 節会などの饗宴においては天皇から諸王や殿上人に下賜する御物は内蔵寮から出された物が用いられた。 こうした事から、従来、内膳職や大膳職が担当していた饗宴における食事(饗饌)も代わって内蔵寮が調達する事例もみられるようになる。
 また、神祇官や諸陵寮が扱っていた諸社・山陵への奉幣とは別に天皇が独自に行う奉幣にも内蔵寮の物資が用いられた。 こうした措置は律令制の変化とともに国家とは別に、天皇個人が皇親・貴族や自身につながる祖先や神々との関係を再構築するために行ったと考えられている。
 だが、内蔵寮の役割拡大とともに、大蔵省からの送付や臨時的に行われる内外との交易での調達品だけでは支出を賄うことができなくなった。 特に大蔵省からの送付には米などの食料品が含まれていないことも支出に支障を来した。 そのため、『延喜式』においては大蔵省以外の官司(織部司・図書寮・内匠寮・兵庫寮など)から送付される「諸司年料供進」、 諸国に品目と分量を指定して送付させる「諸国年料供進」などが制度化されて、収入部分の拡張が図られた。
 律令制の衰退によって朝廷自体が皇室の家政機関としての色彩を強めてくると、内蔵頭には蔵人頭や弁官・近衛中将・少将を歴任した四位の殿上人が就任するのが慣例となり、 内蔵頭・蔵人頭を兼帯した頭頭(とうのとう)も存在した。 更に院政期には財力を有する有力な受領に移り、室町時代初期には山科家の当主が御厨子所別当を兼務して就任するようになると、以後同家の事実上の世襲となった。
 
@平安京 inserted by FC2 system